QED

私はこの世界について驚くべき真理を発見した。だが、それを記すにはこのブログは狭すぎる。

あなたがいつまで経っても”新しい自分”になれない理由

新たなことを身につけるには

 1.理解 … 言葉の意味が分かる
 2.実感 … なぜそれが大事なのか納得する
 3.実践 … 行動に現れる、自分のものになる

という3ステップが必要だという話を聞きました。
 

例として『人を動かす』の

 原則1「批判も非難もしない。苦情も言わない」

について考えると

1.理解 「人のことを悪く言うべきではない、ということだな」

2.実感 「たしかに、自分も人からこういうことを言われて、
      その人のことを好きになれないということがあった」

3.実践 (つい他人を批判したくなったとき)
     「おっと危ない、批判はしないでおこう」
     (と思って批判を控える)

と言ったところでしょうか。


ところで、直感的には

  理解 → 実感 → 実践

という順番ですが

 

  実感が、理解を深め

  実践によって、より強く実感して、理解が進む

ということも実際多いように思います。


なぜなら、「理解」にも程度があるから。

先の例なら

「人のことを悪く言ってはいけないな
(でも、相手が悪いときは言ってやるのがお互いのためだ!)」

という程度の理解から

「他人の非難をしないことは、人生における重要な柱だ」

という理解もあれば、さらには

「首がちぎれても人の批判はしない」

というレベルまで、いろいろな程度の理解があるわけです。


そして、この「理解」というものは

ただ文字を眺めたり、他人の体験談を聞いたりして深まるものではなく

究極のところ、

  実際に、自分が実践してみて、その効果を実感させられる

ことによってのみ深まるものなのではないかと思われます。

どんなに歴史上の、あるいは友人・知人の経験談を聞いたところで

そのとき限り「大事なことだなあ」と思うくらいで

自分がやらなければ、

  骨身に染みて知らされる

ということは無いでしょう。

一方、身をもって(時には痛い目を見て)知らされたことというのは

それだけ深く理解・実感され、自分の血肉となるのではないでしょうか。


さらに言えば

話を聞いただけでは「そんなものかなあ?」と実感が湧かなかったり

「そんなバカな話があるか!」と信じられなかったりする話も

世の中にはあります。

もちろん、その話自体が間違っていることもありましょうが

一考に値すべき人物が言っていることならば

 (経験がないから)自分が理解・実感できないだけ

という可能性もあるかも知れません。

しかも、経験上、そういう場合がほとんどのような気がします。


だからこそ、理解・実感できない時こそ(法律・倫理に反しない限り)

  四の五の言わずにやってみる

ことによって、

今まで理解できなかったことが分かったり、

実感できたりすることもあるのではないでしょうか。


第一、

自分が理解・実感できることばかりやっていては世界が広がりません。

「理解できない」からこそ、「実感できない」からこそ、

 (計らいを入れずに)実践する

ことによってのみ

視野が広がり、新しいことを学んでいけるのではないかと思います。


【今日の結論】

・理解、実感、実践によって人は新しいことを学ぶ

・実践によって理解、実感が深まることは多い

・理解できないからこそ(四の五の言わずに)実践してみることが

 新しいことを学ぶための鍵である