マネーとビットコイン
ここしばらく『紙の約束』(フィリップ・コガン、訳・松本剛史)を読んでいます。
マネーの歴史についての学術書で、重くてさらさらとは読めないのですが
読んでいて、ビットコインというのは、本当に革命的な代物なのではないかと
改めて思ったのでそのメモをしておきます。
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お金(マネー)には、2つの重要な役割があると言われます。
【価値の保存】 と 【交換の媒体】
の2つです。
※以下、僕らが日ごろ使っている意味の「お金」よりも広い意味で議論したいので
あえて「マネー」という言葉を使います。
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【価値の保存】というのは、いわゆる「お金は腐らない」という話で
野菜や、肉や、魚は腐ってしまい、その価値が劣化していきますが
金や銀といった貴金属に替えることで、価値の劣化を防ぐことができます。
これによって、自分の生み出した価値が、”使いきり”のものから
”保存できるもの”に変わりました。これは一つの変革です。
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ここでポイントとして、【価値の保存】をするためのマネーには
「大量に存在してはいけない」
というルールがあります。
金や銀ならば採掘量に限りがあるので、このルールは基本的に保たれますが
政府発行のマネーの場合は重要なルールになってきます。
なぜなら、
政府がマネーを発行するだけ、そのマネーの価値は相対的に下がるからです。
実際、米ドルと日本円の為替相場が、長期的には、
それぞれの通貨発行量と一致することは、よく知られている話です。
一種の、需要・供給の関係が成り立っているとも言えるでしょう。
供給に対して、需要(マネーの発行量)が増えると、
その分、マネーの価格(価値)は下がるわけです。
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次に【交換の媒体】としてのマネー。
マネーが発達する前は、基本は物々交換でした。
たとえば、海で魚をとる人が、豚肉を食べたいと思ったら
豚肉をもっている人のところに行って、魚と交換しなければなりません。
そのとき、豚肉をもっている人が「魚はほしくない!」と言ったらアウトです。
しかし、間にマネーという共通の価値が仲介すれば
魚をマネーに替え、マネーを豚肉に替えることで、交換がスムーズにできます。
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【交換の媒体】としてのマネーは
「円滑に交換が行われるために十分な量のマネーが供給されていること」
が重要です。
魚をマネーに替えようと思っても、マネー切れで替えられない
というのでは困ってしまいますから。
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もう一つ、マネーには 【価値の尺度】
(魚と豚肉という本来比べられない価値のものを、共通の単位で表す)
という役割があるのですが、それについては割愛します。
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こうして見ると
【価値の保存】 としてのマネーには 「供給量が制限されること」 が要求され
【交換の媒体】 としてのマネーには 「十分な供給量があること」 が望まれる
という正反対の特質が求められていることになります。
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では、ビットコインはどうかと考えてみると
まずビットコインには、供給量の制限があります。
ビットコインの仕組み上、2100万ビットコインが発行上限となっているからです。
※現在はそのうち1200万ビットコインが発行(採掘)済み。
つまり【価値の保存】としてのマネーの条件は満たしていると言えそうです。
(今は、既存の政府マネーに対してかなり乱高下していますが)
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では【交換の媒体】としてはどうでしょうか。
上述の通り、ビットコインの供給量には制限があります。
問題はその供給量が「十分」といえるかどうかです。
こればかりはビットコインを利用した取引市場が
どれだけ活発化するかによるので、まだ何ともいえません。
しかし、ビットコインの重要な特徴として
「交換が非常に容易」
というのがあります。
なにせメール一通送るのと同じレベルの手軽さで
世界各国に、しかも格安の手数料でビットコインを送ることができるのです。
これは供給量の制限というものを補って余りある性質だといえます。
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「ビットコインの価格は100倍になるだろう」
なんて言う人もあるくらい期待されているビットコイン。
日本ではマウントゴックスの1件以来、少し下火な感じはありますが
最近だとGMOがビットコイン決済をはじめたりと、
確実にこれから普及していく兆しを感じます。
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最後に
人間がやっていることを機械が「代替」するようになったとき
社会構造をひっくり返すほどの変革が起こってきました。
産業革命は、肉体労働を機械が代替することで起こりました。
IT革命は、知的労働をコンピュータが代替したと言えましょう。
それでは、ビットコインは何を代替するのかといえば
貨幣の発行、つまり信用の創造を代替する可能性があります。
後世、マネー革命と言われてもおかしくないできごとが、
今、起ころうとしているのかも知れません。