QED

私はこの世界について驚くべき真理を発見した。だが、それを記すにはこのブログは狭すぎる。

社会的欲求の時代とSNS、そしてこれからの未来

今の時代でなかったら

こんなにもFacebookが流行ることはあっただろうかと考えます。

それは通信インフラの整備という、ハードの話だけではなく

人々の欲求段階として、という話。

極端な話、戦後の焼け野原の状態(僕も話でしか知りませんが)で

Facebookが誕生しても、絶対に流行らなかっただろうと思うわけです。

 


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マズロー欲求段階説を考えます。

彼は、人間の欲求には次の5段階があると考えました。

ちょうど階段を上るように、

低次の欲求が満たされてはじめて、

より高次の欲求へと上っていくという理論です。

ご存知の方が多いと思いますが、簡単にまとめると

1.生理的欲求

 食事・睡眠・排泄など、生きていくのに最低限必要な欲求。

2.安全欲求

 物理的安全・経済的安全・健康な体など、”安心”を得たいという欲求。

3.所属欲求

 グループに属し、そこで役割・居場所を与えられたいという欲求。
 これが満たされないことが「孤独感」や「うつ」の原因とも言われる。

4.承認欲求

 自分が属するグループの中で価値ある存在と認められたい欲求。
 承認欲求には2通りあり、
 ・他者からの評価を求めるレベルと、
 ・自分自身の評価を重視するレベル(こちらがより高次とされる)
 がある。
 承認欲求が満たされないと、無力感や劣等感を感じる。

5.自己実現欲求

 自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、
 自分がなりうる自分になりたいという欲求。
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で、Facebookは、所属欲求・承認欲求を満たすツールだと考えられます。

(生理的欲求や安全欲求は満たしてくれそうにないですし)

ビジネスで使っている人を除けば、

・”友人”の今が分かりコミュニケーションがとれる → 所属欲求

・「いいね!」を押してもらえる → 承認欲求

が主たる動機となって、Facebookを使っているのではないでしょうか。
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それは、今の社会では、生理的欲求や安全欲求が

ほぼ無条件で満たされるからなのでしょう。

戦後まもなくにFacebookが誕生していても

「そんなのより、今日食べるものが大事!」

と誰も使わなかったように思います。

あるいは、戦争が続き、安全欲求がおびやかされているような国では

Facebookはちょっと流行らないのではないでしょうか。

(きちんとデータは見ていませんが)
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Facebookが流行った(もはや、過去形になりつつありますが)背景には

こうした社会の成熟があったように思います。

そして、これから先に流行るものも

所属欲求や、承認欲求、あるいは自己実現欲求を

満たすようなものになるのでしょう。