QED

私はこの世界について驚くべき真理を発見した。だが、それを記すにはこのブログは狭すぎる。

僕らは何を基準に「正しさ」を判断するのか

僕らは手に入れた情報を

「これは正しい」「これは間違い」

と判断をし、「正しい」と思った情報のみを取捨選択しています。

では、そもそも、その「正しさ」を何によって【判定】しているのでしょうか。

もし、その【判定基準】自体がゆがんだものであれば

「正しい」「間違い」という判断も、おかしなものになってしまいます。

で、結論として、僕らの認知は、実際にはゆがんでいることを示します。

 


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○僕らは、”本当に正しいこと”を「正しい」と判断できるとは限らない

まず重要な点として

【客観的に正しい事実】 と 【自分が正しいと思うこと】

は、ズレる場合があることを認識しなければなりません。
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科学に例を求めるならば、分かりやすいのは「相対性理論」への反応でしょう。

相対性理論の結論の1つに「動いている物の時間は遅れます」。

つまり時間の進み方は、すべての物や人に共通ではなく、

それぞれの物や人、もっと言えば、原子1つ1つ、時間の進み方は異なる

と、相対性理論は言うわけです。

ところが、これは「正しい」とは素直に思えない人が多いのではないでしょうか。

今でこそ「相対性理論は間違いだ」なんてことを言う人はめったにありませんが

僕が中高生の頃は、ネット上でもそんなウェブサイトが乱立していたものです。

これなどは

【客観的な事実(動いているものの時間は遅れる)】と

【自分が正しいと思うこと(すべての物にとって”時間”は共通のはず)】

とがズレる例(客観的な事実を”正しい”とは、とても思えない例)といえるでしょう。
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もっと卑近な例をあげるならば

よくテレビでスキャンダルが報道されますと

その背景(人間関係など)に、いろいろと憶測をめぐらす人があります。

中には「きっと、こういう背景があったに違いない!」と

公共の電波に流す人もあります。

しかし、そのコメンテーターが【正しい事実だと思っていること】と

【客観的な事実】が100%一致することは、多くは無いのではないでしょうか。
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○人は「自分が納得できること」を【事実】と思う傾向にある

僕らの認識をゆがめるものを【認知バイアス】といいます。

バイアス、とは【偏り】のことです。

そのバイアスの1つとして、

  人は 「自分が納得できること」 を 【事実】 と思い込む傾向にある

といわれます。

・納得できる説明

・納得できる話

・納得できる理論

を聞くと僕らは「それは正しい」と思います。

反対に

・納得できない説明

・納得できない話

・納得できない理論

を聞くと僕らは「それは間違い」と思います。

これは僕らにとって「正しい」「間違い」の判断基準の中でも

中核に位置するものではないでしょうか。

「納得できるから間違い」とか「納得できないから正しい」という判断をする人は

まず無いのではないかと思います。
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○「納得できるけど間違い」「納得できないけど正しい」ことはいくらでもある

では上記の判断基準

「納得できることは正しい」

「納得できないことは間違い」

という基準は、”間違いの無い判断基準だ”といえるでしょうか。

といえば、

すでに相対性理論やスキャンダルの話など

 「納得できないけど正しいこと」 「納得できるけど間違いなこと」

はたくさんあることを、お話しました。

上記の基準は、有効に働く場面はたしかに多いでしょうが

間違いの絶対ない基準であるとはいえないでしょう。
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○「正しいことならば納得できる」のか?

そもそも、上記の判断基準の前提には

 「正しいことならば聞けば(教えてもらえば)納得できる」

という信念が、暗黙の了解とされています。

けれども、本当にそうでしょうか。

数学科の先輩がかつて

 「真理というものは、

  もしかしたら人間には理解できないものなのかもしれない」

と言っていましたが、

その可能性は十分にあります。

そもそも、この宇宙のすべてを人間が理解できる、という前提自体

おこがましいものではないでしょうか。

いや、人間が組み立ててきた科学

(少なくとも今まで、”正しい事実”とされていること) でさえ

 「正しいことなら聞けば納得できる」

と自信をもって言える人はどれだけあるでしょうか?

(少なくとも僕には、そんなことを断言する自信はありません)
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○自分の認知はゆがんでいることを自覚する

以上のような「自分が納得できるかどうか」で判断するバイアスを

【確証バイアス】(の1つ)と言われます。

このようなバイアスは、名前がつけられているものだけでも、いくつもあります。

僕らの認識というのは、実はかなりゆがんでいると言えるでしょう。

自分の認識には必ずバイアスがかかっていることを考慮し

【自分が正しいと思っていること】 と 【客観的な事実】 の間には

どのような隔たりがありうるか、ということを

(特に重要な判断においては) 理解して考えることで

よりバイアスの影響を考慮した判断ができるようになるに違いありません。